24歳女、どう生きれば。

1993年生まれが普段考えていることを、独断と偏見で書いてます。

おやすみをいただきます。

今週から少しの間、お休みをいただきます。

 

このブログを始めたきっかけは、twitterでよく「生きづらいなぁ」と言っていたことから。

なんでこんなに生きづらいんだろう、なんで皆生きてられるんだろうって思って

自分が日頃思っていることをブログにまとめたら何かわかるかと思ったんです。

 

で、5月に承認欲求とか自己肯定感とか、いろいろ考えて

自分が生きづらいと思う理由がわかったんです。

その時に「ああ、ブログで書くことなくなった」って思ったんです。

 

書くことはまだあるんだけれど、このブログのタイトルとしては

もう書くことはないかな、と。

 

24歳になって5か月。

思うことは変わってきました。

それはブログを始めて、自分の考え方が変わってきたところもあります。

アダルトグッズショップで働きだして、アダルト系のサイトのコラムを読んだりしているからというのもあります。

 

また、どう生きたらいいかわからなくなったら書こうと思います。

 

例えば、『痩せたのに男が優しくしてくれねぇ!!!』と

今のダイエットに成功したのに不満があるとか。

そういう時までお休みをいただきます。

男の家に自分の物を置く女について。

私がBARで働いていた時

お客様がお話していたことなのですが
「俺(独身一人暮らし)の家に泊まらせた女の子がアクセサリーを置いて帰った」
と嫌そうな顔をしていらっしゃいました。
 
それに対して私は
「うわぁ、マーキングですね……」
って言ったのですが
男性経験があまりない店長は
「たまたま忘れただけじゃないんですか?」
と不思議そうだった。
(店長のことだから演技だったかもしれないけれど)
 
お客様もそれをマーキングだと認識していたし
私も痛いくらい心当たりがあるので
マーキングだと思いました……笑
 
それをマーキングと認識するのは
「付き合っていない」
「どちらか(今回の記事の場合、男性)が好きじゃないと置いて帰る方がわかっている」
などなどの前提がありますが
そこに男女差はなさそうに思いました。
 
仮に、「まだ付き合っていない」段階でも
お互いが付き合ってもいいかもと思っていれば
置き荷物はマーキングになりませんよね。
変な話だとは思いますが
まだ付き合っていなくても
男性の家に幾度となく泊まる女性はいますから。
 
置かれる側の男性も
置く側の女性も
マーキングだと認識するのは
男性が女性に好意を持っていない且つ
男性は女性の好意に気付いている時。
 
ここからはマーキングという言い方を変えて
『わざと置いていった』にしてみましょう。
マーキングは他の女性を寄せ付けないためのものですが
わざと置いていく行為は別の意味がありますからね。
 
付き合っていない段階で、男性宅に1人で行く
または泊まるなどの行為をすること自体よくないですが
その家主の男性に好意のある女性は
男性宅に女性の影を探さずにはいられませんよね。
目に見える場所だけでも、目を凝らしてしまいます。
 
女性の影がある場合
そんな男、さっさとやめちゃえ!
と思うのですが、気持ちとは裏腹なものです。
忘れられないし、心のどこかで
「もう終わった女の物」と処理しようとします。
そして、その疑念を拭うべく
《わざと》物を置いて帰るのです。
 
ほら、わざと物を置いて帰った。
 
帰る前に置いて帰ろうとしてることに気付かれたら
それは確実に女がいるわけですね。
 
後日家に行った時
机の上に置かれてたりすると
女は居ない、と判断しますよね。
 
マーキングは目に見えない女性に向けて自分のものだと伝えている。
わざと置いていくのは、男性を試している。
 
どちらにしたって、恋人ではないのなら男性に嫌われる行為です。
 
置きたいなら置けばいい。
「歯ブラシ置いときたいんだけど」と。
「洗顔料置いときたいんだけど」と。
そう言って、許可さえ貰えれば、、
セフレの完成だね!
 
大人になったら告白なしに付き合うことあるし~
って思って油断してたら
「付き合ってはいないよね?」
って言われること、あるからね。
気を付けてね
 
自分だけの空間に
彼女でもない女の物があったら
落ち着こうにも落ち着けないことを
女性は理解しなければならない。
 
簡単に物を置いて帰らない!
置いて帰っていいのは、恋人かそれに準ずる関係の人のみ!
セフレもだめ!
 
置いて帰る人が「マーキング」って思ってたら
だいたい置いて帰られた人もマーキングって思ってるから。
人はそんなに馬鹿じゃないから。
 
余裕がない人がやる行為だと思うので、今の私には関係ないんだけど
若かりし日にやらかしたことはあったよねぇ~・・・w

セックスは高度なコミュニケーションと言うが、セックスしたからって身も心も通じるわけではない。

アダルトショップでバイトをしていて、アダルトグッズのレビューを書く仕事をしている私は、セックスコラムを読む機会が多い。

セックスについての質問コラムの場合、騎乗位のコツとかフェラチオのコツとか

どうやったら中イキできますか、といったものがどのサイトも必ずある。

そして、だいたい似たような回答が載っている。

 

 そして、そういった質問をネット上でも対面でもされるという方々の対談記事を読んでいたら

「そんなもん、相手に聞け!!」

って怒ってた。

めっちゃ笑った。

 

コツって相手に聞かないとわからないわけじゃないのだけれど、そういうのを含めての『セックスはコミュニケーション』だと思ったので、今回はカップルのコミュニケーション不足について書いていきます。

 

男性が不満を抱いているという話は聞いたことがないのですが

女性は女子会をすると高頻度で彼氏への不満を言い散らしていきます。

 

女性の方にお聞きしますが前戯中に「そこ、クリじゃない」って思ったことありませんか?

その中で「そこクリじゃないよ」って指摘したことのある人、いますか?

ほとんどいないと思います。

女性はセックス中に気持ちよくなくても演技をするくらい、男性を立てるからです。

それがセフレ、一夜限りであってもです。

 

そんな女性は、彼氏にも言いたいことが言えないのです。

寧ろ、好きな人だからこそプライドを傷つけたくなくて言えないことが多いのです。

そして、いつまで経ってもクリじゃないところを触られて気持ちよがってる演技をし、自分の演技だけは上達していきます。

 

しかし、本当は彼だからこそ、長く付き合っていく相手だからこそ言わなければならないのです。

お互い、言いたいことが言えなければ、セフレと同じだと思いませんか?

セフレなら、今夜だけの相手なら、言わなくてもいいやとなるのが本来の形だと思うのです。

 

長く付き合っていると、そういった不満(フェラや騎乗位が上手にできてるか・演技をしなければならない)からセックスレスになったり

ストレスの元となり、不満が言える他のことでひどく当たったりする事になる。

 

セックスは高度なコミュニケーションだとは言うが、それは、セックスをすれば身だけでなく心も通じ合えるという意味ではない。

セックスのことも言い合えるようになって初めて、その高度なコミュニケーションがはかれていると言えるのではないだろうか。

自分の不満を受け入れてもらえなければ、その後どうあがいても別れが待っていると思った方がいい。

 

お互い、というと怒る人がいるかもしれないけれど

『その歳』まで独身恋人なしという人は

「相手の嫌なところを改善してほしいとは思うが言えない(嫌われたくない)」

「相手を減点法で見てしまい、言うほどの労力を使うほどの相手ではなくなってしまう」

などの、何かしらの理由があったりする。

 

私も、話し合いは嫌いだ。

相手を責めている気分になるし、こっちも責められている気になる。

日本人は特にできるだけ穏便に済ませたい人が多いであろう。

そうなるとやはり、言わないが得策。

でも不満はあるから察してほしいし、察してくれないなら別れる、ということになる。

 

しかし、そろそろそういった恋愛をしていられる年齢ではないと思い始めるのが20代半ばではないだろうか。

 

今までと同じことをしていれば、今までと同じ結末になることくらいは容易に想像できる。

 

では、どうすればいいか。

 

最初に脳に刷り込ませる言葉は

 

自分の理想とする完璧な人など今は存在しない。作るのだ。

 

自分の理想の恋人像というものを持っているから、理想と違うことをされると相手に不満を持つわけですよね。

よく「良いと思う人はすでにパートナーがいる」と言うけれど、それは良い人に育てられているから。

そのパートナーからしたら誇らしい話ですね。

良い女は、良い男に育てるだけの力を持っています。

恋は育成ゲームであると知っているのです。

 

本当にその人と一緒にいたいと思っているのなら、話し合いは避けられないし

どれだけ話し合っても直らないから別れたカップルだっている。

話し合ったからって幸せになると保証はできないけれど、自分が全力でその恋と向き合ったことは必ずプラスになる。

 

たまに、『理想の人に出会えた』とか、『ケンカしたことない』とか言うカップルがいるけれど

それでも、話を聞いていたら、『直してほしいところは言っている』というのが本当のところだったりする。

ケンカはしたことはないが、話し合いはするというのがミソ。

 

シンデレラストーリーのように、良い人と巡り合えてそのまま結婚なんて普通あり得ない。

現実を見ろと言われて、意味もわかるしできることなら(それで幸せになるなら)

そんなこと今からしてるし、既にしているだろう。

現実があまりにつらいから理想を求める、というところはあるだろう。

それは誰もがあるところだろうけれど、いつまでもそんな人を探していては減点法で人を見る癖がついてしまう。

 

自分が今年度の東京大学に受かることがほぼ不可能なのと同じくらい、理想の人に巡り合えないなら

来年度の東京大学に受かるために勉強をするのと同じくらい、理想の人に仕立て上げてしまえばいい。

 

世の恋人たちはもっと、セックスの不満すらも言える間柄になっていこう。

 

立ち上がれ、日本人!

男の「態度でわかるやん」と女の「察するのが怖い」問題。

私はお笑い怪獣・明石家さんまさんが好きで、バラエティはさんまさんが出てるものしか基本的には見ません。

さんまさんが司会を務める『踊る!さんま御殿!!』なんかは、さんまさんも自分の話をするので、考えていることがよくわかります。

 

さんま御殿は愛妻家を集めたり、独身女性を集めたりしていて

そういう回になると高頻度でさんまさんは「態度でわかるやん」と言っています。

 

「ずっと2人で一緒におったらそれは好きってことやん」

といった事を話してらしたことが、いまだに忘れられません。

 

というのも私は「わからんわ!!!」と心の中で突っ込んだからです。

バラエティなのでその言葉にゲストたちは揃って突っ込んでいましたが、その突っ込みに同意した女性は多かったのではないでしょうか。

そして、男性はさんまさんに同意したのではないでしょうか。

 

2014年に『察しない男 説明しない女』という本が出版され、本屋で長期間平積みされているくらい流行った本があります、読んでませんが。(※アフィリエイトじゃないです)

 

女はよく「言葉が欲しい」と言うように『察するのが怖い(間違えていたら怖い)』と思っている。

また、男は「言わんかったらわからんやん」と察しないかもしれないけれど自分の感情になると『態度でわかるやん』と言っている人が多い気がする。

 

ということで今回は

男の「態度でわかるやん」と女の「察するのが怖い」問題です。

 

男友達や元彼氏と話していてよく聞くのが

「言葉がなくてもお互いが付き合っていると認識してたらいいよね」です。

いやいや、認識ってなに!?

たしかに、もういい年なのでそういう恋愛がいいのかなァとぼんやり考えることはありますが

実際そういう状況になったら「これって付き合ってるの?」って思っちゃう人多いでしょ。

 

友人の中でも「付き合ってください」という告白なしに付き合っている人はいる。

それはたしかにお互いが認識しあっているから成り立っている。

でもそれは周りに「付き合ってんの?」って訊かれて「はい」とどちらかが答えていたり、どちらかが周りに付き合っていると言っているから成り立っている。

 

でもそういう事はないけど、付き合ってると言えるほどの関係(デートをする、よく連絡を取りあう、肉体関係がある等々)だけど

果たして付き合っていると言えるのだろうか、と思っている人が疑問や不安を持ってしまう。

そういう人がいる中で、「私達付き合っているよね♡」と強いメンタルを持っている人もいる。

 

問題なのは強いメンタルを持っている人に対して男性が「付き合ってない」と言って、認識の差を生むことではないだろうか。

その差を埋めるために言葉があるのに、態度でわかるだろうといって何も言わない。

だからメンタルが弱い人はその認識の差があって傷つくのが怖いから察することをしたくないし、不安を抱き続ける。

 

しかし、男性だけを責めるのがこの記事の趣旨ではない。

女の「察するのが怖い」問題もあるからだ。

 

「これって付き合ってるのかな?」と女子会では言えるのに、男性には直接言えない人

ネットで「男性 脈あり 行動」とかで調べちゃう人は往々に自己評価が低く、自信がない。

 

付き合いたいのにどこかで「相手が私を好きになるわけがない」と思っているから付き合っていると認識できない、あるいはしないのではないでしょうか。

 

認識するのって怖いですよね。

その認識の不一致で「いや、付き合ってないよ」と突き放されたらと思うと、その恐怖より今を選んでしまう。。。

わかります。わかります。

でも、そこから脱したいから不安や疑問を持ったり調べたりしちゃうんですよね。

 

やはりそこには男性の態度から、気持ちを察する必要があるわけです。

男性は言葉より態度のほうが正直だと知っているから「付き合っていると認識していたらいいよね」と言うのだと思います。

 

ネットで検索したら「彼の脈あり行動☆5選」なんて記事がごまんと出てきますが

そういうのって仲の良い友人にもするって人もいて

結局どっちなの!? ってなるから、わからなくなるんですよね。

 

この、ネットで調べる行動自体、無意味だと言いたい!

 

あなたの好きな人のことを知りもしない人の言葉を信じて、好きな人の態度・行動が信じられないようなら、付き合ったとしても信じ続けられないから!

付き合ったあとは「彼は本当に好きなのか?」と不安になってまたネットで調べて、安心できる言葉を探すことになっちゃうから。

 

ネットを見る前に彼を見てください。

自分が好きになった人でしょう?

自分がよく知っているよね、どんな人か。

だったら、わかると思うんです。

「この人なら他の人にこういう事言わないな」とか

「他の人にはこういうことしないな」とか、よく見ていたらわかってきます。

そして、自信もついてきます。

だいたいの女性は察することはできているので、あとは恐怖との戦いです。

それは、自信をつけることによって恐怖に打ち勝てるので、自信をつけるしかないと思います。

 

たまに、彼に愛されたい思いでいっぱいの女性がいるけれど

自分のことばかりを考えて、彼の事を考えられていないなんてことがあるので

だいたい片思いのまま終わるし、付き合ってもすぐに別れてしまいます。

 

そういうタイプでないのなら、ちゃんと観察していたらわかることってたくさんあります(逆を言うとそれは男性が態度でしか示さな過ぎなせいなんだけど)。

彼は普通、他の人にこんなことしないなってわかることと、私ならこんなこと好きな人にしかしないなってことありますよね。

自分と彼を照らし合わせれば、好きって感情も嫌いって感情もわかってきます。

考え方が違うとかいろいろ言われる男女間ですが、同じ人間です。

同じように感じとることが多いのです。

 

あとは、男は言葉にしない生き物だと諦めてこっちから言うしかないです。

 

でもやっぱり男性はちゃんと言葉にしてください。

態度に表すのはコミュニケーションじゃないからね。

そういう人は女性が急に怒っても文句言えないからね。

男「言ってくれなきゃわかんないのに、なんで怒ってんの」

女「わかんないならもういいよ!」

となるわけですよ。

 

それでも態度に表すことしかしないような男は

プロポーズの言葉を言わずに求愛ダンスでもやってろ。

 

人間関係においてコミュニケーション不足が1番厄介な問題である。

次回は『セックスは高度なコミュニケーションと言うが、セックスしたからって身も心も通じるわけではない』です。

上手く恋愛をしていくための自己肯定と自己受容

前回、自己評価と承認欲求について書きました。

 

uran1993.hatenablog.com

 

 

前回は、仕事にも恋愛にも使える考え方について書きましたが

今回は恋愛に絞って書いていきたいと思います。

 

今回は自己肯定自己受容です。

 

心理学を学んでいた人は聞き馴染みがあるかもしれませんが

普通に暮らしていたらあまり聞かない言葉かもしれません。

私も最近まで聞くことがありませんでした。(聞き流していた)

 

自己肯定感がない人、あるいは自己否定的な人は、恋愛をしても上手くいかないことが多いのではないでしょうか。

片思いでもお付き合い中でも、恋愛がしんどくなってしまう人は自分に気付けないと今後も楽しい恋愛ができないと思います。

 

自己を否定しているわけですから、「彼は私を好きになってくれるはずない」と思いますよね。

でも、好きになってほしいって思いも持ってますよね。

そうなった時、好きになってほしくて一生懸命行動に移しますよね。

人によっては、体で繋ぎとめようとしたり。

 

付き合ってない時から体で繋ぎとめようとする人は

付き合ってからも体で繋ぎとめようとするので、どんどんしんどくなってくる。

 

付き合ってから肉体関係を持った人も、体で彼の心を繋ごうとするけれど、それを続けたのちに発する言葉は

「彼は私の事を好きなんだろうか」

なんですよね。

 

自己を肯定できていない人は、自分の性格や見た目にコンプレックスがあって

それを≪駄目≫って思ってしまっている。

だから、相手が良いと思っている部分が見えてこない。

自分にとっては駄目な部分が、相手には良いってこともあるのに、それを肯定できない。

 

そして、

「彼は私の事を好きなんだろうか」

「彼は私のどこを好きなんだろうか」

と言いだします。

これはセフレの人も言うことですよね。

彼と肉体関係にあるのに付き合ってくれないってことは、私はやはりダメな人なんだってどんどん落ち込んでいく。

 

違うじゃん!

自分が体で繋ぎとめておこうって思ってるんじゃん!

自分が『体で繋ぎとめておこう』って思うってことは、セックスしている間は繋がっているから良いって思わなければ、矛盾が生じない?

 

これは、肉体関係だけの話ではなく

「私の顔がいいから」

「プロポーションがいいから」

「隣に置いておけば彼自身の価値が上がると思っているから」

という本来良いことなのに、それで繋ごうとしている人は常にそういった不安を抱いている。

 

よく「人を愛する前に自分を愛しなさい」と言いますが、まさにその通り。

学生時代は「人を愛することで、自分が良い方に変わって好きになっていくこともある」と思っていたけれど

もう20代半ばになったら、人を愛することで自分が変わることなんてそうないから。

自分が変わらないと好きになれないなら、もう自分を先に愛さなければ人を愛せないじゃん。

だって、自分のことが嫌いだから、人を好きになっても苦しい思いばかりするんだもの。

 

毎回恋愛がつらくって、それで「恋愛はいいや~」って思っちゃう。

結婚願望があるのに、恋愛から目を逸らしてしまうのではないでしょうか。

 

別にね、自己肯定はしなくたっていい。

できないもんはできないし、できるから凄いわけじゃない。

今の自分をマルッと愛し、満足する『自己受容』ができるようになったら、今よりずっと恋愛が楽になる。

楽しくなると思う。

 

私は今の恋愛を24年間で初めて楽しいが続いている恋愛だと思っているのだけれど

自分にも彼にも目標があることと、自分の目標のために彼を頼れることと

何より、彼の態度が言葉よりも顕著に表れる愛情表現だと思うようになれたから。

 

ということで、次回は『男の「態度でわかるやん」と女の「察するのが怖い」』です。

自己評価と承認欲求に気をつけろ。

以前、付加価値について書いた。

 

uran1993.hatenablog.com

 

そのあとから、自分の付加価値について熟熟と考えてみた。

その考えをtwitterに垂れ流した結果がこれだよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原田カナ名義の方のアカウントでも、こんなことを書いているわけですが、人と付き合うに当たって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲等々の言葉や感情、思考は切っても切れないものであるとわかってきました。

 

その中でも、今回は自己評価承認欲求について。

 

自己評価とは

字のごとく、自分を評価することです。 自己学習の文脈においては、自己の理解状況を把握したり、課題を遂行した後にそのでき具合を見る、といった意味で用いられます。

googleで調べたら最初に出てきます。

 

出来ない自分や出来る自分を正しく評価している人間はどのくらいいるでしょうか。

 

私はかなりネガティブなので、自己評価は低いです。

なぜなら、自分のできないところばかりを評価するから。

逆に自己評価の高い人はできるところを見ているということになります。

これもまた、正しく評価できていませんね。

 

自己評価が高ければいい、低ければいけない、というものではないと思っています。

 

心理学を学んでいる人からしたら、きっと「こうであればいい」と定義されているものがある! と思うかもしれませんが、そうでなければダメな人間であると定義されることにもなります。

その定義は自己評価が低い人には諸刃の剣なので、ここでは無いものとさせていただきます。(そんな定義があるのか知らないけれど)

 

 

次に、承認欲求とは

他人から認められたいとする感情の総称である。』

wikipediaに載っている。

 

承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。 

 とも載っている。

 

承認欲求は強い人、多いのではないでしょうか。

ちなみに私は強いです。

だからブログをこうして書いているし、試験勉強をして上司に認められたいと思っています。

小説を書いているのも、歌ってみたを投稿していたのも、承認欲求が強いから。

 

心当たりはありませんか?

 

 

タイトルにも書きましたが、このふたつには気を付けていただきたい。

自己評価が低い(自己否定的)のに承認欲求が強い人は、精神崩壊しやすい。

 

私が何かをする→誰も承認してくれない(あるいは言葉や態度に出してくれない)→私はやっぱり駄目なんだ、と落ち込みやすい。

その落ち込みを挽回すべくさらに行動する→承認されない、のループが続くことの方が圧倒的に多い。

どんどん自己評価は下がり、自己を否定しだす。

けれど、そういう人に限って承認欲求は今まで通り強く持ち続けている。

 

そりゃあ、他人に「自分を承認してくれー!」って思ったって承認してくれる方が少ない。

だってその他人も「承認してくれー!」って思っているんだから。

 

wikipediaの引用にもあるように、他者承認と自己承認というものが存在している。

 

原田カナ名義では、セックスや恋愛について書いているのが殆どなので、承認は自己が行い、他者を承認する(他者に承認してもらわない)ということをすれば、恋愛が上手くいくのではないかという説を唱えましたが、これは仕事でも使えると思うんです。

 

仕事って、『自分はこれだけ頑張っているのにどうして評価してくれないんだ』

って苦しくなる瞬間、ありませんか?

その思いがずっと続くと転職したりって行動に移すようになりますが

転職せず仕事を続ける人はどんどん苦しいだけになります。

 

承認は自分がすればいいんです。

肯定ペンギンが何でも「えらい」「すごい」って言ってくれるように

自分にも無理やりなんてことない事でも、行動した後に肯定するようにすればいい。

本心では肯定していなくても、そう言葉にするだけで少し苦しいのが無くなる。

そうしていけば、自己承認のやり方がわかってきます。

最初から自己承認のやり方がわかっている人がいたら、他者承認で苦しまないから、最初はやり方がわからなくて自己承認できないことに苦しむかもしれない。

「だって自分には承認できるほどのことしてない!」って。

でも、自己承認のやり方さえわかれば、他者から承認されたいと思わなくなるので精神衛生的に良いです。

 

そうして、承認欲求を他者から自己に向けたものとしていけば、自己評価は自ずと上がっていきます。

自己評価が高い人は、自己承認ができている、とも言えるのではないでしょうか。

自信に満ち溢れている人は、自己評価が高い。自己承認ができている。

 

高いのが良いわけではないですが、生きていくうえで「生きづらいな」と思っている人は、もし生きやすくしたいなら、自己を変えるしかできることはありませんから。

 

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」とカナダの精神科医が言ったそうです。

その通りすぎて、これ以上言うことがありません。

 

 

数回にわたって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲について記事を書いていきたいと思います。

次回は上手く恋愛をしていくための自己肯定と自己受容について、でも。

私達は本当に「頑張って」いるのだろうか。

高校一年生の体育の時間の時のこと。

その日はマット上で開脚前転や後転をする日で、私は後転ができないでいた。

(当時すでにほぼ高校に行っておらず、引きこもりだったから、皆よりマットの授業を行っていなかった)

後転のやり方がわからなくて、友達に「どうやったらできるん?」なんて訊いていた。

訊いても皆は「勢いに任せて」とか言ってろくな教え方をしてくれなかった。

何度もやっているうちに、お尻が上がって手のひらがマットについた時

手に力を入れてグッと押すと後転ができたのだ。

それまで、手は支えるためだけに着いているんだと思っていた。

 

私は、皆が言う通り「勢いに任せて」やっていたもんだから

後頭部がマットについた辺りから後ろに行くことができなかった。

(ケツがでかいせいもあったのかもしれない)

 

「力を入れる」「ひと手間を加える」「やり方を知る」

という事を知った。

これは凄い発見だと思ったのです。

 

同時に、私は力の入れ方を知らないのだということも知りました。

 

当時の私は声優になりたい夢があったのですが、放送部と演劇部に入っていて、ネット声優みたいなこともしていましたが

「何か頑張っていたか」って言われたら何も頑張ってこなかったです。

部活中は発声練習や滑舌練習をしていましたが、家では何もしなかった。

小学生の頃からそうなのですが、ピアノも剣道もすぐ辞める、何も続かない子でした。

 

高校を辞めて16歳でニコニコ動画に歌ってみたの動画を投稿していましたが

それでも発声練習は最低限で、腹筋も殆どしなかった。

小説だって、最近書き上げた中編や長編もなく。

頑張る事、力を入れる事をできないのではなく、しない人間なのです。

 

私は今まで「やりたい事をやりたいだけやる」人間だと言っていますが

それってつまり『のめり込んでない』わけですよ。

しんどくなったら放り出し、別のことを始めるんですから。

 

自分は自分で頑張っていると思っているかもしれない。

しかしそれは自分の肉体や精神が崩壊しない程度に

今までの生活を変える事はないレベルで頑張っているにすぎないのではないだろうか。

自分でキャパシティーを決めているのではないだろうか。

これ以上はできないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。

他人は頑張っていると思ってくれているだろうか、恐らく思っていないだろう。現実はだいたいそんなものだ。

 

ノミの実験の話を知っているでしょうか。

1メートル跳ぶノミを50センチメートルの高さのコップに入れて蓋をする。

ノミはそこから出ようとジャンプをするのだけれど、蓋のせいで「これ以上ジャンプできない」ことを学習する。

ノミは蓋がなくなっても同じ高さしかジャンプできず、コップから出られない。

という実験が行われ、こうした結果が出ている。

 

人間で言えば、義務教育期間に出る杭を打たれている状態がコレと同じだろう。

 

私達はノミと同じなのだろうか。

体調を崩したり、精神崩壊する必要はない。

そこまでする必要はないけれど『力を入れて、ひと押しすることで、成功することもある』。

成功するまでに試行錯誤して、どこで力を入れるのか、沢山失敗すればいいのではないだろうか。

 

仕事が忙しすぎて24時間の中に余白がない人は仕方ないとして

家で何もしていない時間はないですか。

気付いたら2時間くらい時間が経過していること、ないですか。

週に1度や2度ならまだしも、やる事があるのに毎日そんな感じじゃないですか。

 

仕事でミスするなら、なぜミスするのかを考えて対策を練ることもできる

勉強でわからないところがあれば復習することもできる

覚えられないことがあったら覚えようとする時間も取れるんじゃないですか

 

息抜きも大事です。

ずっと力を入れていたら知らず知らずのうちに肉体も精神も疲れてくる。

でも、息抜きのしすぎは力を入れる方法を忘れてしまうことがある。

 

頑張ったって他人の評価が上がるわけじゃないかもしれない。

でも、自分で自分の能力を決めつけることはなくなる可能性は大いにあると私は思っている。