24歳女、どう生きれば。

1993年生まれが普段考えていることを、独断と偏見で書いてます。

人を見る目を養う

この歳になると、人を見る目を養いたくなりだす。(24歳の私が書いた)

 
同居人の従姉妹は、いつも非常識な男と付き合う。
元バイト先の先輩は、女遊びしすぎな男を好きで居続ける。
友人は、「皆にやめとけって言われる」って言いながら付き合って泣いている。
 
私は、人を疑いながら信じているせいか、
何かあったときに「やっぱりな」って気持ちと悲しみが混在する。
 
職場の人もそうだし友人でもそうだけれど、
人を見る目を養えば変なことに巻き込まれることもない。
 
これはコロナ前の出来事なのだけれど
ある国際交流パーティで知り合った4歳上の可愛い女性と仲良くなった。
可愛い女性が私は大好きだから、声をかけられて嬉しかったし
そのような場にいるという事は、一緒に英語を学べるかもとも思っていた。
しかしその人と英語で話すことはなく、
誘われる時はいつも、その人が所属しているグループのパーティに呼ばれていた。
(最初の1回きりで、それ以降は誘われても行かなかった。)
そのパーティはハロウィンパーティで、特に何かの勧誘ってわけでもなく
知り合った女性以外は初対面だったけれど、普通に楽しいパーティだった。
その後もそのようなパーティに誘われていたのだけれど、
友人にそのような人にパーティに誘われている話をしたら
「そういうのって一律いくらか払うでしょ。だけど、場所代や食事代は最初から決まってる。だから誘えば誘うほど一人当たりのお金が浮いて、浮いた分は幹部が持っていくんだよ」
って言っててめちゃくちゃに納得した。
そんな世界がある事に驚いたし、仕事でもないのにそんな事してることにも驚いた。
いや、それを仕事のようにしている可能性もあったかもしれない。
もしかしたら辺にyoutubeをやるより稼げているかもしれない。
 
まあでもそれで何かに勧誘されるでもないし、楽しいパーティだったし
別にそれはそれでいいか、何も企画したりしてないし
3,000円くらい払って皿洗いも何もしないで済んでるしいっかって思えた。
その時は思えた。
そこからがその女性の本性を垣間見ることになる。
 
その後、コロナになり私は2月から自粛していた。
医療従事者なので、かなり気を使っていた。
ウェビナーなんて言葉が出てきたあたりで、
その女性は「友人がウェビナーをするから参加しないか」
と誘ってきた。
内容は『望む人生に組み替える「未来設定ノート」』を使って
人生設計しようというものだった。
その本自体絶対買わないようなものだったし、
人が作った本を使って他人がウェビナー開くんじゃねーよとも思ったw
この頃私は医者になりたくて医学部受験の勉強をしていた。
医者になる気でいたから「私の人生は決まっている」と
強い気持ちでいたから断った。
それに、このような本で望んだ人生になる人は望んでいる人生自体がたいしたことじゃないとも思っている。
これはきつい言葉だし、完全なる持論であるが、
ある程度で叶うものは、だいたい誰でもなれるものなのだ。
何度も挫けそうになりながら、泣きながらつらい思いをしながら
それでも医師になりたいと思って勉強をしてきた私は
結局なるのを諦めてしまったけれど
医師になるのはそれだけ大変な事なのだ、誰にでもなれるものではない
と今の私も思っている。
何になりたいか、それになれて幸せかどうかは人によって異なるので
アロマテラピー検定1級を取ってセラピストになる事が
無上の喜びである人はそれが望んだ人生なので
そのような本を読んでウェビナーに参加すれば叶うだろう。
きっかけや意志を固くし貫く気持ちを持ち続けるためにも
そういったものは必要だと思うからだ。
 
さて、話が逸れてしまったけれど
その女性が今何をしているのかは知らない。
コロナで連絡を取る必要もない。わざわざ会う必要もない。
女性も私が何を言っても断るから諦めたのかもしれない。
 
こうして、マルチとまでは言えないまでも
かかわらないほうがいい人は世の中にいくらでもいる。
更に言えば、友人が突然マルチに走ったりもした。
同級生のママもそうなった。
人は突然そうなってしまうので
人間関係も常に更新する必要がある。
人を見る目を養っていれば
こういった更新もできるようになっていく。
 
人を信じたい気持ちがあるのはわかるし
性善説が誤りだとも思わない私もお人好しではあるが
人を見る目を養い続けることは大切だ。
 
これは一般人に限らず、芸能人に対してもそうだと思う。
オンラインサロンを開いている人たちが
どれだけの人なのか、よく知る必要がある。
彼らはたしかにお金をかけた分の情報を与えてくれる。
けれど、そのひとつの情報を一度に複数人に与えるので
オンラインサロンに入る人が増えれば増えるほど
お金儲けになるわけだ。
キャラクター通りのことを言えば
サロンに入った人は喜ぶ。
しかしその喜びだけで、実際にサロンの意味があるのかは甚だ疑問だ。
これはサロンに入ったことがないから言えるのだけれど、
疑問を持っているから入らないとも言える。
京都大学にはサロンルームがあるのだけれど
サロンとは本来そういったものだと思うので
オンラインサロンに疑問を持っているところもある。
私の目が正しいのか、サロンに入会している人が正しいのかそれはわからない。
 
それはこれからもっと私が人を見る目を養えばわかることなのかもしれない。
人を見る目を養うのは大切だ。
友人も恋人も、家族でさえ必要な情報を見落とさないように。