上手く恋愛をしていくための自己肯定と自己受容
前回、自己評価と承認欲求について書きました。
前回は、仕事にも恋愛にも使える考え方について書きましたが
今回は恋愛に絞って書いていきたいと思います。
今回は自己肯定と自己受容です。
心理学を学んでいた人は聞き馴染みがあるかもしれませんが
普通に暮らしていたらあまり聞かない言葉かもしれません。
私も最近まで聞くことがありませんでした。(聞き流していた)
自己肯定感がない人、あるいは自己否定的な人は、恋愛をしても上手くいかないことが多いのではないでしょうか。
片思いでもお付き合い中でも、恋愛がしんどくなってしまう人は自分に気付けないと今後も楽しい恋愛ができないと思います。
自己を否定しているわけですから、「彼は私を好きになってくれるはずない」と思いますよね。
でも、好きになってほしいって思いも持ってますよね。
そうなった時、好きになってほしくて一生懸命行動に移しますよね。
人によっては、体で繋ぎとめようとしたり。
付き合ってない時から体で繋ぎとめようとする人は
付き合ってからも体で繋ぎとめようとするので、どんどんしんどくなってくる。
付き合ってから肉体関係を持った人も、体で彼の心を繋ごうとするけれど、それを続けたのちに発する言葉は
「彼は私の事を好きなんだろうか」
なんですよね。
自己を肯定できていない人は、自分の性格や見た目にコンプレックスがあって
それを≪駄目≫って思ってしまっている。
だから、相手が良いと思っている部分が見えてこない。
自分にとっては駄目な部分が、相手には良いってこともあるのに、それを肯定できない。
そして、
「彼は私の事を好きなんだろうか」
「彼は私のどこを好きなんだろうか」
と言いだします。
これはセフレの人も言うことですよね。
彼と肉体関係にあるのに付き合ってくれないってことは、私はやはりダメな人なんだってどんどん落ち込んでいく。
違うじゃん!
自分が体で繋ぎとめておこうって思ってるんじゃん!
自分が『体で繋ぎとめておこう』って思うってことは、セックスしている間は繋がっているから良いって思わなければ、矛盾が生じない?
これは、肉体関係だけの話ではなく
「私の顔がいいから」
「プロポーションがいいから」
「隣に置いておけば彼自身の価値が上がると思っているから」
という本来良いことなのに、それで繋ごうとしている人は常にそういった不安を抱いている。
よく「人を愛する前に自分を愛しなさい」と言いますが、まさにその通り。
学生時代は「人を愛することで、自分が良い方に変わって好きになっていくこともある」と思っていたけれど
もう20代半ばになったら、人を愛することで自分が変わることなんてそうないから。
自分が変わらないと好きになれないなら、もう自分を先に愛さなければ人を愛せないじゃん。
だって、自分のことが嫌いだから、人を好きになっても苦しい思いばかりするんだもの。
毎回恋愛がつらくって、それで「恋愛はいいや~」って思っちゃう。
結婚願望があるのに、恋愛から目を逸らしてしまうのではないでしょうか。
別にね、自己肯定はしなくたっていい。
できないもんはできないし、できるから凄いわけじゃない。
今の自分をマルッと愛し、満足する『自己受容』ができるようになったら、今よりずっと恋愛が楽になる。
楽しくなると思う。
私は今の恋愛を24年間で初めて楽しいが続いている恋愛だと思っているのだけれど
自分にも彼にも目標があることと、自分の目標のために彼を頼れることと
何より、彼の態度が言葉よりも顕著に表れる愛情表現だと思うようになれたから。
ということで、次回は『男の「態度でわかるやん」と女の「察するのが怖い」』です。
自己評価と承認欲求に気をつけろ。
以前、付加価値について書いた。
そのあとから、自分の付加価値について熟熟と考えてみた。
その考えをtwitterに垂れ流した結果がこれだよ!
結局、誰も私のしてることを肯定してくれはしないのだなぁ、と世の中を改めて認識したのであった。他者からの肯定がなければ自己は肯定できないのだろうか。それとも、自己を肯定することは己の問題なのだろうか。他者から肯定されなかった長年が今の自分を作っているとは思うのだけれど。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
付加価値とか承認欲求とか自己肯定とか、最近よく考えるのだけれど、私は何も頑張ってこなかったので頑張らなくてもできることしかしてこなかったのでそりゃあ人から褒められることもないわけだから他者から自己の存在を肯定されなければいくら承認欲求があっても頑張らない自分が悪い。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
肯定ペンギンが受けているのも、メンヘラが多いのも、肯定されずに生きてきた人が多いからでは? 歌ってみたとかコスプレとか、楽しいし趣味でなんとなくやってる人もいるだろうけど肯定されたい承認されたいからでは? ネット社会の今、そういった人を狙うのが一番盛り上がるのでは。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
Twitterを見ていると「他者から肯定されずに生きてきた人」が多い気がします。肯定されたくて、何かしらの活動を始める方が多いような。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
ならば、自分の好きな人が頑張っていたら『肯定する』ことは、かなり「こいつといると楽だなぁ」って思われるのではないでしょうか。
昔から「お疲れ様」や「頑張ってるね」なんて言われると男は癒されると言いますが、他者が自分を見てくれているという事実が自己顕示欲を満たし自分の存在意義が有ると気付き、自己肯定できるからなわけですよね。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
私の周りにいる、恋愛に失敗する人達はことごとく自己顕示欲や承認欲求があって、それを好きな人に埋めてもらいたくて頑張っています。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
貴方は大丈夫ですかー?自分の事を見てもらいたくて、自分が愛されたくて行動するのは勝手ですが、相手の欲を満たせていますかー??
原田カナ名義の方のアカウントでも、こんなことを書いているわけですが、人と付き合うに当たって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲等々の言葉や感情、思考は切っても切れないものであるとわかってきました。
その中でも、今回は自己評価と承認欲求について。
自己評価とは
『字のごとく、自分を評価することです。 自己学習の文脈においては、自己の理解状況を把握したり、課題を遂行した後にそのでき具合を見る、といった意味で用いられます。 』
とgoogleで調べたら最初に出てきます。
出来ない自分や出来る自分を正しく評価している人間はどのくらいいるでしょうか。
私はかなりネガティブなので、自己評価は低いです。
なぜなら、自分のできないところばかりを評価するから。
逆に自己評価の高い人はできるところを見ているということになります。
これもまた、正しく評価できていませんね。
自己評価が高ければいい、低ければいけない、というものではないと思っています。
心理学を学んでいる人からしたら、きっと「こうであればいい」と定義されているものがある! と思うかもしれませんが、そうでなければダメな人間であると定義されることにもなります。
その定義は自己評価が低い人には諸刃の剣なので、ここでは無いものとさせていただきます。(そんな定義があるのか知らないけれど)
次に、承認欲求とは
『他人から認められたいとする感情の総称である。』
とwikipediaに載っている。
承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。
とも載っている。
承認欲求は強い人、多いのではないでしょうか。
ちなみに私は強いです。
だからブログをこうして書いているし、試験勉強をして上司に認められたいと思っています。
小説を書いているのも、歌ってみたを投稿していたのも、承認欲求が強いから。
心当たりはありませんか?
タイトルにも書きましたが、このふたつには気を付けていただきたい。
自己評価が低い(自己否定的)のに承認欲求が強い人は、精神崩壊しやすい。
私が何かをする→誰も承認してくれない(あるいは言葉や態度に出してくれない)→私はやっぱり駄目なんだ、と落ち込みやすい。
その落ち込みを挽回すべくさらに行動する→承認されない、のループが続くことの方が圧倒的に多い。
どんどん自己評価は下がり、自己を否定しだす。
けれど、そういう人に限って承認欲求は今まで通り強く持ち続けている。
そりゃあ、他人に「自分を承認してくれー!」って思ったって承認してくれる方が少ない。
だってその他人も「承認してくれー!」って思っているんだから。
wikipediaの引用にもあるように、他者承認と自己承認というものが存在している。
原田カナ名義では、セックスや恋愛について書いているのが殆どなので、承認は自己が行い、他者を承認する(他者に承認してもらわない)ということをすれば、恋愛が上手くいくのではないかという説を唱えましたが、これは仕事でも使えると思うんです。
仕事って、『自分はこれだけ頑張っているのにどうして評価してくれないんだ』
って苦しくなる瞬間、ありませんか?
その思いがずっと続くと転職したりって行動に移すようになりますが
転職せず仕事を続ける人はどんどん苦しいだけになります。
承認は自分がすればいいんです。
肯定ペンギンが何でも「えらい」「すごい」って言ってくれるように
自分にも無理やりなんてことない事でも、行動した後に肯定するようにすればいい。
本心では肯定していなくても、そう言葉にするだけで少し苦しいのが無くなる。
そうしていけば、自己承認のやり方がわかってきます。
最初から自己承認のやり方がわかっている人がいたら、他者承認で苦しまないから、最初はやり方がわからなくて自己承認できないことに苦しむかもしれない。
「だって自分には承認できるほどのことしてない!」って。
でも、自己承認のやり方さえわかれば、他者から承認されたいと思わなくなるので精神衛生的に良いです。
そうして、承認欲求を他者から自己に向けたものとしていけば、自己評価は自ずと上がっていきます。
自己評価が高い人は、自己承認ができている、とも言えるのではないでしょうか。
自信に満ち溢れている人は、自己評価が高い。自己承認ができている。
高いのが良いわけではないですが、生きていくうえで「生きづらいな」と思っている人は、もし生きやすくしたいなら、自己を変えるしかできることはありませんから。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」とカナダの精神科医が言ったそうです。
その通りすぎて、これ以上言うことがありません。
数回にわたって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲について記事を書いていきたいと思います。
次回は上手く恋愛をしていくための自己肯定と自己受容について、でも。
私達は本当に「頑張って」いるのだろうか。
高校一年生の体育の時間の時のこと。
その日はマット上で開脚前転や後転をする日で、私は後転ができないでいた。
(当時すでにほぼ高校に行っておらず、引きこもりだったから、皆よりマットの授業を行っていなかった)
後転のやり方がわからなくて、友達に「どうやったらできるん?」なんて訊いていた。
訊いても皆は「勢いに任せて」とか言ってろくな教え方をしてくれなかった。
何度もやっているうちに、お尻が上がって手のひらがマットについた時
手に力を入れてグッと押すと後転ができたのだ。
それまで、手は支えるためだけに着いているんだと思っていた。
私は、皆が言う通り「勢いに任せて」やっていたもんだから
後頭部がマットについた辺りから後ろに行くことができなかった。
(ケツがでかいせいもあったのかもしれない)
「力を入れる」「ひと手間を加える」「やり方を知る」
という事を知った。
これは凄い発見だと思ったのです。
同時に、私は力の入れ方を知らないのだということも知りました。
当時の私は声優になりたい夢があったのですが、放送部と演劇部に入っていて、ネット声優みたいなこともしていましたが
「何か頑張っていたか」って言われたら何も頑張ってこなかったです。
部活中は発声練習や滑舌練習をしていましたが、家では何もしなかった。
小学生の頃からそうなのですが、ピアノも剣道もすぐ辞める、何も続かない子でした。
高校を辞めて16歳でニコニコ動画に歌ってみたの動画を投稿していましたが
それでも発声練習は最低限で、腹筋も殆どしなかった。
小説だって、最近書き上げた中編や長編もなく。
頑張る事、力を入れる事をできないのではなく、しない人間なのです。
私は今まで「やりたい事をやりたいだけやる」人間だと言っていますが
それってつまり『のめり込んでない』わけですよ。
しんどくなったら放り出し、別のことを始めるんですから。
自分は自分で頑張っていると思っているかもしれない。
しかしそれは自分の肉体や精神が崩壊しない程度に
今までの生活を変える事はないレベルで頑張っているにすぎないのではないだろうか。
自分でキャパシティーを決めているのではないだろうか。
これ以上はできないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。
他人は頑張っていると思ってくれているだろうか、恐らく思っていないだろう。現実はだいたいそんなものだ。
ノミの実験の話を知っているでしょうか。
1メートル跳ぶノミを50センチメートルの高さのコップに入れて蓋をする。
ノミはそこから出ようとジャンプをするのだけれど、蓋のせいで「これ以上ジャンプできない」ことを学習する。
ノミは蓋がなくなっても同じ高さしかジャンプできず、コップから出られない。
という実験が行われ、こうした結果が出ている。
人間で言えば、義務教育期間に出る杭を打たれている状態がコレと同じだろう。
私達はノミと同じなのだろうか。
体調を崩したり、精神崩壊する必要はない。
そこまでする必要はないけれど『力を入れて、ひと押しすることで、成功することもある』。
成功するまでに試行錯誤して、どこで力を入れるのか、沢山失敗すればいいのではないだろうか。
仕事が忙しすぎて24時間の中に余白がない人は仕方ないとして
家で何もしていない時間はないですか。
気付いたら2時間くらい時間が経過していること、ないですか。
週に1度や2度ならまだしも、やる事があるのに毎日そんな感じじゃないですか。
仕事でミスするなら、なぜミスするのかを考えて対策を練ることもできる
勉強でわからないところがあれば復習することもできる
覚えられないことがあったら覚えようとする時間も取れるんじゃないですか
息抜きも大事です。
ずっと力を入れていたら知らず知らずのうちに肉体も精神も疲れてくる。
でも、息抜きのしすぎは力を入れる方法を忘れてしまうことがある。
頑張ったって他人の評価が上がるわけじゃないかもしれない。
でも、自分で自分の能力を決めつけることはなくなる可能性は大いにあると私は思っている。
股間がAV女優。
以前、全身脱毛の契約をして1回目のレポを書いた。
レポと言えるかは甚だ疑問だが、脱毛をしたことのない人からはご意見をいただけたのでレポと言えなくても書いた価値はあった。
2回目があまりにも痛みがなくすぐに終わってしまったので
レポを書くことが何もなかった。
そして気が付いたら3回目の来店日を迎えていた。
2回目は本当に痛みがなくて
毛の濃いワキやVIOもちょっとチクっとするくらいで
冷や汗をかいたり痛みを我慢してウッて言う、なんてことは一切なかった。
お姉さんと談笑していたくらい、痛くなかった。
余裕をぶっこいて3回目。
3回目は2回目から1ヶ月と1週間過ぎていた。
毛の周期は1ヶ月、と行っているエステは仰ってるので(お店によって周期が2ヶ月だったり3ヶ月だったりいろいろです)
1ヶ月毎に行きたいのだけれど、1週間すぎてしまった。
それが原因だったのか、周期的な問題なのか、痛かった!!!
Iラインが痛かったよ!!!!
一通り終わって「これで終わりだー」と思っていた時
脱毛をしてくれたお姉さんが言い出した。
「ビキニライン、もう少し小さくてもいいと思うんですよねー。このサイズがいいですか?」
って。
皆様にお尋ねします。
ビキニラインって、そんなに小さいもんですか?
パンツや水着からはみ出さなければOKくらいにしか思ってないんですけど。。。
と、思いながら
「初めてやってくれた時のお姉さんが今のサイズに揃えてくれて、それからこのサイズなだけなので・・・」
と言ったら
「ちょっと剃ってみてもいいですか~?」
って言うから、ハイって言うしかないじゃないですか。
相手はプロですし。
いろんな人の股間見てるから、プロが思う美しいビキニラインの形や大きさがあるんだろうと思うじゃないですか。
終わって、その個室にある姿見に映った私の股間がAV女優のソレと同じだったんです。
こんな小さい一般人いねぇよ!!!!
AVの見すぎだろ!!!!!
仕事でAVの梱包してるからわかるけど、一緒だよ!!!!
パッケージに私の股間があってもわかんねぇよ!!!!
これから夏に向けてVIOラインの脱毛をする人、いると思うんです。
1回じゃ綺麗にならないから春から始める人多いしね。
今のうちに言っておくけど
Vラインは自分好みの形を死守しろ!
間違っても相手をプロだからと信頼すんなよ!!!
ちなみにー
twitterの男性陣は「気にならない」って人しかいなかった。
(反応してくれた人なんだからそりゃそうなんだろうけど)
男性に見られた時「お前の股間AV女優かよwwww」って笑われませんように。
「若いなぁ〜」に耳を傾けてください。
新社会人の皆様
付加価値を見つける。
中学生や高校生の頃に、こんな事は考えなかったろうか。
余裕がないと愛されない。
私の知り合いに、余裕がないせいで好きな人に好かれない女がいる。
先日、その余裕のない女(以下Aちゃん)と、Aちゃんの好きな人(以下B君)と、私やその他計8名で宅飲みをしていた。
私が家に行った頃には皆酔っ払っていて、私は仕事終わりで唯一の素面だった。
B君の隣に座っていた人が、「俺の隣おいでよ~」と言うのでその男性とB君の間に座った。
Aちゃんは全然違うところに座っていた。
私とB君は仲良しなこともありずっと話していた。
酔ってるB君がボディタッチをしても、顔を近付けて携帯を覗いたりしても、お互い何の感情も生まれない。
Aちゃんの顔は怖くて見られなかったけど、私が見た限りほとんど真顔だった。
あんまり笑ってるところも喋ってるところも見なかった。
Aちゃんが私を敵視している理由はわかっている。
私が昔、B君の事を好きだったからだ。
いやいやいやいや
AちゃんにはもうB君のこと好きじゃない理由言ってるし
そんな事で余裕なくなったらアカンやろ!
Aちゃんは、私がそうして仲良くて、可愛がられている事を知っているから
『私もあんな風に可愛がられたい! 優しくされたい!』と思っているのか
自己主張が激しいんだけど、方向性を間違っている。
よくあるのが『面倒くさい』。
これはここ数か月で、Aちゃんが居ない場所でB君が言うようになった事のひとつ。
面倒くさいって言うのは、ここ数か月でB君以外の殆どの男女も口を揃えて言うことでもある。
Aちゃんは残念ながら、余裕がなくなってから、B君以外からも悪口を言われている。
余裕がないと、好きな人にも、好きな人じゃない人にも、愛されなくなってしまうみたいだ。
皆が口を揃えて言うんだから、相当面倒くさいんだと思う(笑)
それから『大声や大きい物音を立てて私はここに居ますアピール』。
Aちゃんが宅飲みで寝ていた時、むくっと起きて
携帯を探して机をバンバン叩いていたのだけれど、すごく怖かった(笑)。
私も中学の時、やったことがありますよ・・・
無駄に大きい声を出して驚いて、好きな人がこっちを見ないかな、とかね。
そんな事をしなくっても、話せる時は話せるし
見てくれる時は見てくれるものなんですよ。
余裕がない人は、会う度に大勢だろうがなんだろうが隣にいて話していたいと思うんですよね。
誰かに取られたらどうしようって考えちゃって。
B君がAちゃんの悪口を言う時は
「26歳であれは無いわ」という言葉がいつも付いています。
24歳の私はいつも「2年後、ああなっていたら駄目なんだな」と思いながら、その悪口を聞いています。(笑)
少しずつ大人になる私達20代前半。
現役で4年制の大学に通ったら社会に出るのが22歳。
22歳の時って一番可愛がられる頃ですよね、特に女性は。
若いし初々しくて可愛いし、何したって大体可愛がられるんだけれど
24歳の私ですら≪大人≫である事を求められるようになってるんだから
26歳なんて、≪大人≫であって当然な世の中なんだと思う。
22歳の時と周りが同じ感覚で接してくれるって思っていると
Aちゃんのように「26歳であれは……」とか言われるようになるのだろう。
これは、少し主題と離れてしまったか。
最後に私の話を少しばかり。
B君の事が好きだった頃、私も余裕がなかった。
だからAちゃんの余裕が無い理由を私はよく知っているし、過去の私を見ているみたいで痛々しく、そして恥ずかしい。
その頃はAちゃんほど悪口は言われないにしても、面倒だなって思われてた時期があった。
そう思われるくらいなら、好きって気持ちを無くしてしまえば、また仲良くしてくれる。そう思って、気持ちを消した。
案の定、B君はまたスキンシップをし、冗談を言い合い、笑い合えるようになった。
余裕が生まれると、好きな人から好かれるようになるんだって知った。
余裕がない人って、人から愛されたい願望が強いんですよ。
自分の事が好きじゃないのに人の事を好きになるもんだから
好きな人に愛されたい! って思って頑張るんだけど
「どうして愛してくれないの」「どこを直せば好きになってくれるの」「私はやっぱり駄目なんだ」「私なんかよりもっといい人いるもんね」
って内に内に好かれない理由を探して、自分を責めるから余裕がなくなる。
余裕がない理由ってたくさんあるけれど
恋愛で余裕がなくなる人は、自己肯定感が低いのに承認欲求と自己顕示欲は強い。
余裕を持つことと、人を好きでいることを両立できるようになれば
Aちゃんもいつか愛されるようになるのかもしれない。