自己評価と承認欲求に気をつけろ。
以前、付加価値について書いた。
そのあとから、自分の付加価値について熟熟と考えてみた。
その考えをtwitterに垂れ流した結果がこれだよ!
結局、誰も私のしてることを肯定してくれはしないのだなぁ、と世の中を改めて認識したのであった。他者からの肯定がなければ自己は肯定できないのだろうか。それとも、自己を肯定することは己の問題なのだろうか。他者から肯定されなかった長年が今の自分を作っているとは思うのだけれど。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
付加価値とか承認欲求とか自己肯定とか、最近よく考えるのだけれど、私は何も頑張ってこなかったので頑張らなくてもできることしかしてこなかったのでそりゃあ人から褒められることもないわけだから他者から自己の存在を肯定されなければいくら承認欲求があっても頑張らない自分が悪い。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
肯定ペンギンが受けているのも、メンヘラが多いのも、肯定されずに生きてきた人が多いからでは? 歌ってみたとかコスプレとか、楽しいし趣味でなんとなくやってる人もいるだろうけど肯定されたい承認されたいからでは? ネット社会の今、そういった人を狙うのが一番盛り上がるのでは。
— もろたでうらん (@uran_bot_) 2017年4月27日
Twitterを見ていると「他者から肯定されずに生きてきた人」が多い気がします。肯定されたくて、何かしらの活動を始める方が多いような。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
ならば、自分の好きな人が頑張っていたら『肯定する』ことは、かなり「こいつといると楽だなぁ」って思われるのではないでしょうか。
昔から「お疲れ様」や「頑張ってるね」なんて言われると男は癒されると言いますが、他者が自分を見てくれているという事実が自己顕示欲を満たし自分の存在意義が有ると気付き、自己肯定できるからなわけですよね。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
私の周りにいる、恋愛に失敗する人達はことごとく自己顕示欲や承認欲求があって、それを好きな人に埋めてもらいたくて頑張っています。
— 原田カナ (@_HaradaKana_) 2017年4月28日
貴方は大丈夫ですかー?自分の事を見てもらいたくて、自分が愛されたくて行動するのは勝手ですが、相手の欲を満たせていますかー??
原田カナ名義の方のアカウントでも、こんなことを書いているわけですが、人と付き合うに当たって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲等々の言葉や感情、思考は切っても切れないものであるとわかってきました。
その中でも、今回は自己評価と承認欲求について。
自己評価とは
『字のごとく、自分を評価することです。 自己学習の文脈においては、自己の理解状況を把握したり、課題を遂行した後にそのでき具合を見る、といった意味で用いられます。 』
とgoogleで調べたら最初に出てきます。
出来ない自分や出来る自分を正しく評価している人間はどのくらいいるでしょうか。
私はかなりネガティブなので、自己評価は低いです。
なぜなら、自分のできないところばかりを評価するから。
逆に自己評価の高い人はできるところを見ているということになります。
これもまた、正しく評価できていませんね。
自己評価が高ければいい、低ければいけない、というものではないと思っています。
心理学を学んでいる人からしたら、きっと「こうであればいい」と定義されているものがある! と思うかもしれませんが、そうでなければダメな人間であると定義されることにもなります。
その定義は自己評価が低い人には諸刃の剣なので、ここでは無いものとさせていただきます。(そんな定義があるのか知らないけれど)
次に、承認欲求とは
『他人から認められたいとする感情の総称である。』
とwikipediaに載っている。
承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。
とも載っている。
承認欲求は強い人、多いのではないでしょうか。
ちなみに私は強いです。
だからブログをこうして書いているし、試験勉強をして上司に認められたいと思っています。
小説を書いているのも、歌ってみたを投稿していたのも、承認欲求が強いから。
心当たりはありませんか?
タイトルにも書きましたが、このふたつには気を付けていただきたい。
自己評価が低い(自己否定的)のに承認欲求が強い人は、精神崩壊しやすい。
私が何かをする→誰も承認してくれない(あるいは言葉や態度に出してくれない)→私はやっぱり駄目なんだ、と落ち込みやすい。
その落ち込みを挽回すべくさらに行動する→承認されない、のループが続くことの方が圧倒的に多い。
どんどん自己評価は下がり、自己を否定しだす。
けれど、そういう人に限って承認欲求は今まで通り強く持ち続けている。
そりゃあ、他人に「自分を承認してくれー!」って思ったって承認してくれる方が少ない。
だってその他人も「承認してくれー!」って思っているんだから。
wikipediaの引用にもあるように、他者承認と自己承認というものが存在している。
原田カナ名義では、セックスや恋愛について書いているのが殆どなので、承認は自己が行い、他者を承認する(他者に承認してもらわない)ということをすれば、恋愛が上手くいくのではないかという説を唱えましたが、これは仕事でも使えると思うんです。
仕事って、『自分はこれだけ頑張っているのにどうして評価してくれないんだ』
って苦しくなる瞬間、ありませんか?
その思いがずっと続くと転職したりって行動に移すようになりますが
転職せず仕事を続ける人はどんどん苦しいだけになります。
承認は自分がすればいいんです。
肯定ペンギンが何でも「えらい」「すごい」って言ってくれるように
自分にも無理やりなんてことない事でも、行動した後に肯定するようにすればいい。
本心では肯定していなくても、そう言葉にするだけで少し苦しいのが無くなる。
そうしていけば、自己承認のやり方がわかってきます。
最初から自己承認のやり方がわかっている人がいたら、他者承認で苦しまないから、最初はやり方がわからなくて自己承認できないことに苦しむかもしれない。
「だって自分には承認できるほどのことしてない!」って。
でも、自己承認のやり方さえわかれば、他者から承認されたいと思わなくなるので精神衛生的に良いです。
そうして、承認欲求を他者から自己に向けたものとしていけば、自己評価は自ずと上がっていきます。
自己評価が高い人は、自己承認ができている、とも言えるのではないでしょうか。
自信に満ち溢れている人は、自己評価が高い。自己承認ができている。
高いのが良いわけではないですが、生きていくうえで「生きづらいな」と思っている人は、もし生きやすくしたいなら、自己を変えるしかできることはありませんから。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」とカナダの精神科医が言ったそうです。
その通りすぎて、これ以上言うことがありません。
数回にわたって自己評価・自己肯定(否定)・自己受容・承認欲求・自己顕示欲について記事を書いていきたいと思います。
次回は上手く恋愛をしていくための自己肯定と自己受容について、でも。