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24歳女、どう生きれば。

1993年生まれが普段考えていることを、独断と偏見で書いてます。

私達は本当に「頑張って」いるのだろうか。

高校一年生の体育の時間の時のこと。

その日はマット上で開脚前転や後転をする日で、私は後転ができないでいた。

(当時すでにほぼ高校に行っておらず、引きこもりだったから、皆よりマットの授業を行っていなかった)

後転のやり方がわからなくて、友達に「どうやったらできるん?」なんて訊いていた。

訊いても皆は「勢いに任せて」とか言ってろくな教え方をしてくれなかった。

何度もやっているうちに、お尻が上がって手のひらがマットについた時

手に力を入れてグッと押すと後転ができたのだ。

それまで、手は支えるためだけに着いているんだと思っていた。

 

私は、皆が言う通り「勢いに任せて」やっていたもんだから

後頭部がマットについた辺りから後ろに行くことができなかった。

(ケツがでかいせいもあったのかもしれない)

 

「力を入れる」「ひと手間を加える」「やり方を知る」

という事を知った。

これは凄い発見だと思ったのです。

 

同時に、私は力の入れ方を知らないのだということも知りました。

 

当時の私は声優になりたい夢があったのですが、放送部と演劇部に入っていて、ネット声優みたいなこともしていましたが

「何か頑張っていたか」って言われたら何も頑張ってこなかったです。

部活中は発声練習や滑舌練習をしていましたが、家では何もしなかった。

小学生の頃からそうなのですが、ピアノも剣道もすぐ辞める、何も続かない子でした。

 

高校を辞めて16歳でニコニコ動画に歌ってみたの動画を投稿していましたが

それでも発声練習は最低限で、腹筋も殆どしなかった。

小説だって、最近書き上げた中編や長編もなく。

頑張る事、力を入れる事をできないのではなく、しない人間なのです。

 

私は今まで「やりたい事をやりたいだけやる」人間だと言っていますが

それってつまり『のめり込んでない』わけですよ。

しんどくなったら放り出し、別のことを始めるんですから。

 

自分は自分で頑張っていると思っているかもしれない。

しかしそれは自分の肉体や精神が崩壊しない程度に

今までの生活を変える事はないレベルで頑張っているにすぎないのではないだろうか。

自分でキャパシティーを決めているのではないだろうか。

これ以上はできないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。

他人は頑張っていると思ってくれているだろうか、恐らく思っていないだろう。現実はだいたいそんなものだ。

 

ノミの実験の話を知っているでしょうか。

1メートル跳ぶノミを50センチメートルの高さのコップに入れて蓋をする。

ノミはそこから出ようとジャンプをするのだけれど、蓋のせいで「これ以上ジャンプできない」ことを学習する。

ノミは蓋がなくなっても同じ高さしかジャンプできず、コップから出られない。

という実験が行われ、こうした結果が出ている。

 

人間で言えば、義務教育期間に出る杭を打たれている状態がコレと同じだろう。

 

私達はノミと同じなのだろうか。

体調を崩したり、精神崩壊する必要はない。

そこまでする必要はないけれど『力を入れて、ひと押しすることで、成功することもある』。

成功するまでに試行錯誤して、どこで力を入れるのか、沢山失敗すればいいのではないだろうか。

 

仕事が忙しすぎて24時間の中に余白がない人は仕方ないとして

家で何もしていない時間はないですか。

気付いたら2時間くらい時間が経過していること、ないですか。

週に1度や2度ならまだしも、やる事があるのに毎日そんな感じじゃないですか。

 

仕事でミスするなら、なぜミスするのかを考えて対策を練ることもできる

勉強でわからないところがあれば復習することもできる

覚えられないことがあったら覚えようとする時間も取れるんじゃないですか

 

息抜きも大事です。

ずっと力を入れていたら知らず知らずのうちに肉体も精神も疲れてくる。

でも、息抜きのしすぎは力を入れる方法を忘れてしまうことがある。

 

頑張ったって他人の評価が上がるわけじゃないかもしれない。

でも、自分で自分の能力を決めつけることはなくなる可能性は大いにあると私は思っている。