24歳女、どう生きれば。

1993年生まれが普段考えていることを、独断と偏見で書いてます。

成りたくない大人。

この24年間、それなりに人を見てきた。

そして、『成りたくない大人』の代表例も居る。

 

三十路を過ぎてまで、SNSで職場の愚痴を書いていたり

Barの店員に可愛がられていることで自分の居場所があると勘違いしている女だ。

 

それの何が問題なのかというと、

SNSに愚痴を書くということは、誰かに慰めてもらいたい構ってちゃんなのだ。

構ってちゃんがダメというのではなく、不特定多数に構われても構われ足りないのが問題なのだ。面倒な女の出来上がりだ。

そして夜の仕事をしている人間に優しい言葉をかけられて、労われたいからBarに行くのだろう。

そういう人のためにもBarはあるのだろうが、問題はそこを居場所にしてしまうことだ。そこは帰る場所ではなく、行く場所なのだから自分の居場所ではないのだ。

 

では、そうならないためにどうすればいいのか。

恐らく、『構ってちゃん』は目の前にいる人間だけにすること、

そして居場所がないと生きていけないメンタルしかない人間になるまいと気合を入れ続けることだろう。

案外、気合を入れ続けているだけで人は強くなる。

少なくとも私はそうして、豆腐だったメンタルがグミくらいにはなった。

 

居場所は、自分の中にしかない。

裏切らないのは自分だけなのだから。

 

6年後、成りたくない大人と思われないために。