私達は本当に「頑張って」いるのだろうか。
高校一年生の体育の時間の時のこと。
その日はマット上で開脚前転や後転をする日で、私は後転ができないでいた。
(当時すでにほぼ高校に行っておらず、引きこもりだったから、皆よりマットの授業を行っていなかった)
後転のやり方がわからなくて、友達に「どうやったらできるん?」なんて訊いていた。
訊いても皆は「勢いに任せて」とか言ってろくな教え方をしてくれなかった。
何度もやっているうちに、お尻が上がって手のひらがマットについた時
手に力を入れてグッと押すと後転ができたのだ。
それまで、手は支えるためだけに着いているんだと思っていた。
私は、皆が言う通り「勢いに任せて」やっていたもんだから
後頭部がマットについた辺りから後ろに行くことができなかった。
(ケツがでかいせいもあったのかもしれない)
「力を入れる」「ひと手間を加える」「やり方を知る」
という事を知った。
これは凄い発見だと思ったのです。
同時に、私は力の入れ方を知らないのだということも知りました。
当時の私は声優になりたい夢があったのですが、放送部と演劇部に入っていて、ネット声優みたいなこともしていましたが
「何か頑張っていたか」って言われたら何も頑張ってこなかったです。
部活中は発声練習や滑舌練習をしていましたが、家では何もしなかった。
小学生の頃からそうなのですが、ピアノも剣道もすぐ辞める、何も続かない子でした。
高校を辞めて16歳でニコニコ動画に歌ってみたの動画を投稿していましたが
それでも発声練習は最低限で、腹筋も殆どしなかった。
小説だって、最近書き上げた中編や長編もなく。
頑張る事、力を入れる事をできないのではなく、しない人間なのです。
私は今まで「やりたい事をやりたいだけやる」人間だと言っていますが
それってつまり『のめり込んでない』わけですよ。
しんどくなったら放り出し、別のことを始めるんですから。
自分は自分で頑張っていると思っているかもしれない。
しかしそれは自分の肉体や精神が崩壊しない程度に
今までの生活を変える事はないレベルで頑張っているにすぎないのではないだろうか。
自分でキャパシティーを決めているのではないだろうか。
これ以上はできないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。
他人は頑張っていると思ってくれているだろうか、恐らく思っていないだろう。現実はだいたいそんなものだ。
ノミの実験の話を知っているでしょうか。
1メートル跳ぶノミを50センチメートルの高さのコップに入れて蓋をする。
ノミはそこから出ようとジャンプをするのだけれど、蓋のせいで「これ以上ジャンプできない」ことを学習する。
ノミは蓋がなくなっても同じ高さしかジャンプできず、コップから出られない。
という実験が行われ、こうした結果が出ている。
人間で言えば、義務教育期間に出る杭を打たれている状態がコレと同じだろう。
私達はノミと同じなのだろうか。
体調を崩したり、精神崩壊する必要はない。
そこまでする必要はないけれど『力を入れて、ひと押しすることで、成功することもある』。
成功するまでに試行錯誤して、どこで力を入れるのか、沢山失敗すればいいのではないだろうか。
仕事が忙しすぎて24時間の中に余白がない人は仕方ないとして
家で何もしていない時間はないですか。
気付いたら2時間くらい時間が経過していること、ないですか。
週に1度や2度ならまだしも、やる事があるのに毎日そんな感じじゃないですか。
仕事でミスするなら、なぜミスするのかを考えて対策を練ることもできる
勉強でわからないところがあれば復習することもできる
覚えられないことがあったら覚えようとする時間も取れるんじゃないですか
息抜きも大事です。
ずっと力を入れていたら知らず知らずのうちに肉体も精神も疲れてくる。
でも、息抜きのしすぎは力を入れる方法を忘れてしまうことがある。
頑張ったって他人の評価が上がるわけじゃないかもしれない。
でも、自分で自分の能力を決めつけることはなくなる可能性は大いにあると私は思っている。
股間がAV女優。
以前、全身脱毛の契約をして1回目のレポを書いた。
レポと言えるかは甚だ疑問だが、脱毛をしたことのない人からはご意見をいただけたのでレポと言えなくても書いた価値はあった。
2回目があまりにも痛みがなくすぐに終わってしまったので
レポを書くことが何もなかった。
そして気が付いたら3回目の来店日を迎えていた。
2回目は本当に痛みがなくて
毛の濃いワキやVIOもちょっとチクっとするくらいで
冷や汗をかいたり痛みを我慢してウッて言う、なんてことは一切なかった。
お姉さんと談笑していたくらい、痛くなかった。
余裕をぶっこいて3回目。
3回目は2回目から1ヶ月と1週間過ぎていた。
毛の周期は1ヶ月、と行っているエステは仰ってるので(お店によって周期が2ヶ月だったり3ヶ月だったりいろいろです)
1ヶ月毎に行きたいのだけれど、1週間すぎてしまった。
それが原因だったのか、周期的な問題なのか、痛かった!!!
Iラインが痛かったよ!!!!
一通り終わって「これで終わりだー」と思っていた時
脱毛をしてくれたお姉さんが言い出した。
「ビキニライン、もう少し小さくてもいいと思うんですよねー。このサイズがいいですか?」
って。
皆様にお尋ねします。
ビキニラインって、そんなに小さいもんですか?
パンツや水着からはみ出さなければOKくらいにしか思ってないんですけど。。。
と、思いながら
「初めてやってくれた時のお姉さんが今のサイズに揃えてくれて、それからこのサイズなだけなので・・・」
と言ったら
「ちょっと剃ってみてもいいですか~?」
って言うから、ハイって言うしかないじゃないですか。
相手はプロですし。
いろんな人の股間見てるから、プロが思う美しいビキニラインの形や大きさがあるんだろうと思うじゃないですか。
終わって、その個室にある姿見に映った私の股間がAV女優のソレと同じだったんです。
こんな小さい一般人いねぇよ!!!!
AVの見すぎだろ!!!!!
仕事でAVの梱包してるからわかるけど、一緒だよ!!!!
パッケージに私の股間があってもわかんねぇよ!!!!
これから夏に向けてVIOラインの脱毛をする人、いると思うんです。
1回じゃ綺麗にならないから春から始める人多いしね。
今のうちに言っておくけど
Vラインは自分好みの形を死守しろ!
間違っても相手をプロだからと信頼すんなよ!!!
ちなみにー
twitterの男性陣は「気にならない」って人しかいなかった。
(反応してくれた人なんだからそりゃそうなんだろうけど)
男性に見られた時「お前の股間AV女優かよwwww」って笑われませんように。
「若いなぁ〜」に耳を傾けてください。
新社会人の皆様
付加価値を見つける。
中学生や高校生の頃に、こんな事は考えなかったろうか。
余裕がないと愛されない。
私の知り合いに、余裕がないせいで好きな人に好かれない女がいる。
先日、その余裕のない女(以下Aちゃん)と、Aちゃんの好きな人(以下B君)と、私やその他計8名で宅飲みをしていた。
私が家に行った頃には皆酔っ払っていて、私は仕事終わりで唯一の素面だった。
B君の隣に座っていた人が、「俺の隣おいでよ~」と言うのでその男性とB君の間に座った。
Aちゃんは全然違うところに座っていた。
私とB君は仲良しなこともありずっと話していた。
酔ってるB君がボディタッチをしても、顔を近付けて携帯を覗いたりしても、お互い何の感情も生まれない。
Aちゃんの顔は怖くて見られなかったけど、私が見た限りほとんど真顔だった。
あんまり笑ってるところも喋ってるところも見なかった。
Aちゃんが私を敵視している理由はわかっている。
私が昔、B君の事を好きだったからだ。
いやいやいやいや
AちゃんにはもうB君のこと好きじゃない理由言ってるし
そんな事で余裕なくなったらアカンやろ!
Aちゃんは、私がそうして仲良くて、可愛がられている事を知っているから
『私もあんな風に可愛がられたい! 優しくされたい!』と思っているのか
自己主張が激しいんだけど、方向性を間違っている。
よくあるのが『面倒くさい』。
これはここ数か月で、Aちゃんが居ない場所でB君が言うようになった事のひとつ。
面倒くさいって言うのは、ここ数か月でB君以外の殆どの男女も口を揃えて言うことでもある。
Aちゃんは残念ながら、余裕がなくなってから、B君以外からも悪口を言われている。
余裕がないと、好きな人にも、好きな人じゃない人にも、愛されなくなってしまうみたいだ。
皆が口を揃えて言うんだから、相当面倒くさいんだと思う(笑)
それから『大声や大きい物音を立てて私はここに居ますアピール』。
Aちゃんが宅飲みで寝ていた時、むくっと起きて
携帯を探して机をバンバン叩いていたのだけれど、すごく怖かった(笑)。
私も中学の時、やったことがありますよ・・・
無駄に大きい声を出して驚いて、好きな人がこっちを見ないかな、とかね。
そんな事をしなくっても、話せる時は話せるし
見てくれる時は見てくれるものなんですよ。
余裕がない人は、会う度に大勢だろうがなんだろうが隣にいて話していたいと思うんですよね。
誰かに取られたらどうしようって考えちゃって。
B君がAちゃんの悪口を言う時は
「26歳であれは無いわ」という言葉がいつも付いています。
24歳の私はいつも「2年後、ああなっていたら駄目なんだな」と思いながら、その悪口を聞いています。(笑)
少しずつ大人になる私達20代前半。
現役で4年制の大学に通ったら社会に出るのが22歳。
22歳の時って一番可愛がられる頃ですよね、特に女性は。
若いし初々しくて可愛いし、何したって大体可愛がられるんだけれど
24歳の私ですら≪大人≫である事を求められるようになってるんだから
26歳なんて、≪大人≫であって当然な世の中なんだと思う。
22歳の時と周りが同じ感覚で接してくれるって思っていると
Aちゃんのように「26歳であれは……」とか言われるようになるのだろう。
これは、少し主題と離れてしまったか。
最後に私の話を少しばかり。
B君の事が好きだった頃、私も余裕がなかった。
だからAちゃんの余裕が無い理由を私はよく知っているし、過去の私を見ているみたいで痛々しく、そして恥ずかしい。
その頃はAちゃんほど悪口は言われないにしても、面倒だなって思われてた時期があった。
そう思われるくらいなら、好きって気持ちを無くしてしまえば、また仲良くしてくれる。そう思って、気持ちを消した。
案の定、B君はまたスキンシップをし、冗談を言い合い、笑い合えるようになった。
余裕が生まれると、好きな人から好かれるようになるんだって知った。
余裕がない人って、人から愛されたい願望が強いんですよ。
自分の事が好きじゃないのに人の事を好きになるもんだから
好きな人に愛されたい! って思って頑張るんだけど
「どうして愛してくれないの」「どこを直せば好きになってくれるの」「私はやっぱり駄目なんだ」「私なんかよりもっといい人いるもんね」
って内に内に好かれない理由を探して、自分を責めるから余裕がなくなる。
余裕がない理由ってたくさんあるけれど
恋愛で余裕がなくなる人は、自己肯定感が低いのに承認欲求と自己顕示欲は強い。
余裕を持つことと、人を好きでいることを両立できるようになれば
Aちゃんもいつか愛されるようになるのかもしれない。
オタクで買い物依存症。
私は、紅茶とチョコレートには目がない。
別に、紅茶の産地で味の違いがわかるわけではない。
チョコレートを食べてカカオ豆の産地がわかるわけじゃない。
けれど、好きなチョコレートや紅茶のためなら
数千円を出すのはなんてことないのだ、
漫画1冊500円を超えていたら高いと思うこの私が。
それに、私はコンプ癖がある。
コンプリートしたい願望が強いのは女性より男性だと言われている。
しかし、私はオタク気質が強いのか、グッズなども好きになったらとことん集めてしまう。
今まで、銀魂と薄桜鬼にはかなり貢いできた。
今はコナンに貢ぎかけている。理性を保たねばすぐお金を出そうとしてしまう。
これは一種の「買い物依存症」だと思っている。
オタクだからコンプは当たり前、という世界にいて
右も左も同じようにコンプしているから麻痺しているかもしれないが
これはれっきとした買い物依存症だ。
一方、同居している従姉妹はパンピーでパリピなのだが、物を持たない。
スヌーピーが好きな彼女に、私はUSJに行ったりするとお土産にグッズを買うことがある。
しかし、彼女は自らそういったものを買うことは非常に少ない。
必要な分しか買わないのだ。
彼女は私とは違い、お金を遊びに使いたいからかもしれない。
従姉妹は「うらんってハマったらとことんハマるよね」と言っていた。
彼女はハマってもとことんはハマらないらしい。よくわからないよね。
とことんハマってないものはハマってるって言わないよね!?(これがダメなんだと思う)
私は、欲しいものは手に入れる人間だと自負している。
というより吟味するということを基本的にしない。
『ちょっと気になる』は手に入れる。
それがお金で手に入るならすべて手に入れている。
そして今、過去の私が欲しいと思って買ったものがゴミと化している。
私にとって、グッズ類の価値が0になってしまった。
部屋は狭いがグッズだけは大量にある。
(誰か薄桜鬼のグッズ格安で買い取ってくれませんか)
今流行りのミニマリストとは少し違うのだけれど
家にあるけれど使っていないものは多くある。
それらの売れるものは売った。
フリマアプリで現在も販売中だ。
もう私は懲りた。
『欲しいものを全て手に入れたら、好きじゃなくなる』
この性格をわかっていながら買ってしまう、という金遣いの荒さに懲りた。
『懲りた』という言い方は間違っているかもしれない。
これといった嫌な目に合っていないから。
ただ、全てを手に入れたと思ってしまったその時から
熱は下がっていく一方なのだ。
今、名探偵コナンという広く深い沼に足を突っ込んでしまい
毎月毎週新しい情報が入るたび
「すべてを買うことはできない」と焦って、ついに悟った。
グッズを買うことが愛情表現ではない
「そりゃ、青山先生にお金が入るなら、それでコナンがずっと続くなら」
と思うほどには沼にハマってしまっている。
しかしどうだろう。
コナンのアニメはもう20年以上放送してるし、漫画はアニメより2年長く連載されている。
コミックスは91巻まで出ている。
青山先生は100巻までに終わらせると言っていたコナンを、100巻を超えると撤回している。
それでも残念ながら、私が1・2歳の時に連載が始まったコナンだ、連載が終わりアニメが終わり、供給源が無くなってからの私の人生の方が長いのだ。
紅茶やチョコレートは貢いでも、物が無くなってしまうから
価値が0になることがない、
だから安心してお金を出してしまう。
しかし、貢いだところでどうにもならないものはある。
どうにもならないなら、最初からどうにもしなければいい。
欲しいものは手に入れてしまう、この性格を直すという
根本からなんとかしなければならないのではないか。
だって私は叶姉妹ではないのだから。
ファビュラスな生き方はできないのだから。
まずは、なぜお金を使ってしまうのかを考えてみる。
紅茶やチョコレートにお金を使う理由は
美味しいものを口にしたいという思いと
リッチな自分を演じたい(自己完結含め)から。
アニメなどにお金をかける理由は
それを1番好きなのは私だ、と自分に思い込ませているから。
そしてできることなら、他の人にもそれを思わせたいから。
(※両方とも好きなことは大前提です。)
私みたいな理由でお金を使う人って多いのでは?
皆、イベント時にはすげえ自己主張激しい格好してるじゃん。
「私は○○担当です!!!!!」
って、服装や鞄がもう凄い人いるじゃん。
友人とは好きなキャラが被ってもいいけど
知らない人と被ってるのは嫌だ
知らない人の方がグッズを多く持ってイベント参加してたらもっと嫌だ
みたいな女の子多いよね
私も、そんな感じで他人よりキャラを愛してたいんだけど
グッズは汚したり失くしたりしたくないから外出させない系だから
自己主張はまったくせず、オタク感無しでイベントに参加している。
『好きなアニメのグッズはすべて買う』くらいに
欲しいものを手に入れる人は、自己主張が強いんだ。
コンプ癖って、自己主張が強いんだ。
買い物依存症で自己主張が強い女だったんだ、私は。
イベント時すら外出しないグッズはお家でいつも御留守番している。
それならもうグッズ買わなくてもいいじゃん、って思えてきた。
これは歳のせいだろうか。
それとも、この「買い物依存症」から抜け出せたのだろうか。
抜け出せてはいないのだけれど。理性でなんとかやっている。できるくらいには成長した。
グッズをコンプすることで、作品やキャラへの愛が量れると思っているのは24歳未満まで。
それが愛のアピールであり、それを周りに見せることで得られる幸福感はたしかに気持ちが良いが、24歳未満まで。
何歳までかは各々決めればいい。
それまでのコンプ癖だったり愛情表現が≪間違っている≫とは思っていない。
私は今まで間違ったことをしていたとは思っていないし、他人に対しても「間違っている」なんて思ってはいない。
それが愛情表現あり、自分の幸福感のためなら、いつまででもしていていいと思う。
私は今、いつか恋人ができて結婚したいと思っているし、
NOT買い物依存症、NOTオタクの従姉妹と同居していて
私の感覚がおかしい事に気付いたので、改善しようと思った
ただそれだけのことなのだ。
生き急いでるーー地雷との付き合い方。
私にはこれといった地雷はないと思っていた。